2017年の振り返りと、これから開ける可能性について

2017年もあと少し。
4ヶ月児を実家に預けて、卒業以来の高校の同窓会なるものに行ってきて、帰りの電車の中で今年を振り返る。


何より今年は、出産にまつわる生物的営みに左右される時間が多かった。とはいえ学会発表もできたし、修論を書き上げれば生産的なことという点でも何とか自分を満足させられるので、あとひと月、ラストスパートを頑張りたい。


次女について。長女を育てつつ転職を3回してるうちに8歳差の子育てとなったが、1人目を20代後半で産んだことも鑑みると、私にとってはこの年の差は有り難かったと思う。上はしっかりしてるし、ついついきょうだいを比べてしまうにしても年の差が大きいので、上の子に対して「何で下よりできないのか」にはならないことも含めて。

しかしトータルの子育て期間が長くなったのは確か。これからどうやって生きていくかは、やっぱり考える。


そんな中、授乳→次女の朝寝のベッドの役割を果たしながら、

の、子どもを産んだ後の働き方についての夫の方とのやりとりを読み、ジーンときてしまった。特に

私以上に
私の将来を考えてくれる
人がいる

ということ、それだけでもすごく救われる。


私のこれまでの職業人生は「私よりも私の可能性を信じている」夫によって鼓舞され、どうしても支援的な立場に立ちたがる私が「自分の力で表現できる」ようになるための営みだった。
夫から強要はされないけど、やってみたい、と言ったことに関しては強く賛成し、諦めそうになったときは怒らせてでも*1ファイティングポーズを取り続けさせてくれた。


色々な夫婦の形、色々な家族の形があり、世の中は漸進的にしか変わらないところもあると思っている。「女だから」「母だから」割りを食う局面がないとは言わない。
ただ、それでもしかし、と言い続ける力を持っているのなら、やってみたいと言い続けてみれば、可能性は開ける。だからこそ、いわゆる「ワーキングマザー」には

「できることがあるよ」
「諦めないでいられるように頑張ろう」

という物心両面の支えが身近な人からあれかしと思うし、それをパートナーたる配偶者が提供できるならそれに越したことはない。


人生における育児や家事以外の「可能性」は、よしんば出産育児で形が変わったとしても、開かれ続けている。これを信じられないような社会に私の娘たちを送り出したくない以上、私が立ち向かい続けずして誰が立ち向かうというのか。私自身が「可能性」を支える人や力を得られていることを有り難く思いつつ、来年は育児休業からの復職、そして学び続けたいと思っている分野についても引き続き、尽力していきたい。

*1:私の行動力は比較的怒りでできている…