「ユルスナールの靴」と、心に残る文に出会える僥倖について

先日はてブ経由Twitterで「ユルスナールの靴」について触れ、数年ぶりに読んでみようと出してきていたものを、本日、次女の朝寝のベッドとしての崇高な使命を果たしつつやっと読めました。

 

 

ユルスナールの靴 (河出文庫)

ユルスナールの靴 (河出文庫)

 

 

須賀敦子は全集が文庫化されたころにはまり込んで読み、その後、出産育児期にはあまり読まなかったので、新鮮な驚きを持って文章を味わえました。

そして、物語を楽しむというより文体や表現を楽しむ読書において、自分の環境や年齢が変わったことで目にとまる箇所が変化するということもまた、とても味わいあることだと感じます。

 

今回でいうと、

悪いあらしのような反抗期をようやく抜け出して、やっとじぶんとの和解の道がみえてくる年齢に達した

や、 

なにも肩をはって闇などに対決することはなかったのだ、と軽薄にも信じこんでしまったそれにつづく夫との五年間

など。思春期の入り口に立った長女との生活や、10年を越えた結婚生活*1などがないと目に止まらなかったかもしれない文章。こういう出会いがある作家の宛てをいくつか持っているのは幸せなことだと思います。今回、ユルスナール自身の本も読んでみようかという気持ちが湧いています。

 

物語のスリルや工夫を楽しめないのが私の特徴で、歳を重ねるにつれその傾向は強くなっております。だからか、アニメも漫画もほぼ見なくなりました。とはいえ楽しみのためのものですので、無理に苦手なジャンルに触れることもあるまい、というのが最近の考えではあります。ただ、視野や視座が凝り固まり始める怖さも覚えておりますので、昔読んでいたものを改めて読んでみる、そこから広げてみる、ということは意図してやっていってもいいのかもしれません。その点で須賀敦子を思い出したのはありがたいことでした。全集をまた、少しずつ読んでいきたいところです。

*1:幸せなことに私は、軽薄に信じこんだままずっと過ごしているけれど