「知的生活の設計」と、明示的に一歩を踏み出してみせること

最近の私

正直、体調も精神も絶不調でした。

仕事的にはまあまあ順調でしたが、結構向き不向きについて考えさせられる出来事が積み重なり、気持ちがギザギザハートの子守唄状態になったり、天地人の与六*1状態になったりと不健康、周囲にも攻撃的になりそうになり、複数タスクを並行して脳内で処理できるのが売りなのに後回し後回しになっていって自分が一番イライラする、など、大変不健全。

その理由の多くに「次女が夜起きるから集中できない」「寝てる間もセルフ授乳してるから体力が戻らない」「長女は頼りになるけれども小3、教育に関して考えることも関与することも増えていてマネジメントが複雑化」という家庭事情があり、そうなるのは分かっていたから何となくは職場にも配慮を求めていたのですがチーム事情的に叶わず*2、元々愛憎半ばしていた仕事に対してマイナス感情の方が大きくなっていたのが昨今でした。

「知的生活の設計」を読んだ

そんな中、知的生活の設計を読みました。

知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略

知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略

多く参考にできる部分がある中で、

何のために、どこに情報発信をするか

の項が心に残り、イライラの解消や、冷静に環境を変えようとする試みや、長期的にどうしていきたいかの再設計など、大きな人生の方向性を作るのと並行して「発信」していくこと、そしてそれによって「明示的に」一歩を踏み出してみせること、これが私には必要なのではないかと思い至ったのでした。


多分私のフラストレーションの半分は「やりたいことができていない」から来て、あと半分は「自分の目標とするところに自分が到達できていない」から来ます。忙しすぎるとか、タスクが多いとかは、目先の焦燥感や疲労にはつながるけれど(それはそれで解消すべきだしあまり詰め込みすぎるとサステイナブルではない)フラストレーションの根本には来ない。

なのであれば、ひとつひとつ些細なことであっても「やりたいこと」「自分の目標」を発信していって、蓄積を可視化していけばいいのでは、と思いました。

「知的生活の設計」にあった表現を借りれば、「完成に向かうプロセスを発信する」というアプローチです。

そもそもこのブログ自体が、いろんな媒体で書き続けてきたものを一応過去ログとして移植した上で継続しているので、

  • 大企業で不本意な仕事をしていたが
  • 出産後企業法務に転職し
  • さらに子持ちの戦コンへとチャレンジし
  • 配偶者の転勤に合わせて転職
  • 働きながら子育てしながら大学院に通い
  • 第2子を産みつつ修士論文を書く

という私の多分あんまりない人生のプロセス(成功も失敗も)が、日常生活とともに記録されているものです。
せっかくならばこれからやりたいこと、やっていくことも、発信していくことで誰かが面白がってくれればいいし、私自身も面白ければいいな、と思いました。

ということで、当面は以下のようなことを取りあげたい。それこそ仕事と育児と家事と勉強してるんで時間はないんだけど、隙間時間に書く手法を確立していきたい。


*1:「わしはこんなとこ、来とうはなかった」

*2:振り返ってみてマネジメントに課題があったと思ったからその部分は上司に苦情を入れた