米沢富美子さんの「私の履歴書」

初回の時点で「今月はいい!」と思い、



も購入して読んだわけだが、今日のエピソードが大変心に響いたので抜き書き。
米国で開かれたある国際学会で、米国人の男性物理屋さんと日本人の男性物理屋さんの間で交わされた会話が語りぐさになっている。  米国人が「日本物理学会は女性が会長になったんだって? すごいな」と称賛すると、日本人は「女? 誰?」と応じ、しばらく考えて「そういえば、米沢は女だなあ」と自分でも驚いた様子で言う。「えーっ、これまで米沢のことを何だと思っていたんだ」と聞くと「科学者だと思っていた」と答えた。  この話を伝え知ったとき、私はとてもうれしかった。性別を超えて「一人の科学者」と認識されていたのは最高の名誉である。研究を進めたり科研費獲得に奔走したりしている時、自分が女であることを自覚したことはない。私自身が忘れているので、見ている人たちも気づかなかったのだろう。(強調は引用者による)
近日中に書こうと思っていることとして、幼児を育てているとどうしても「性別を超えて」認識してもらえる状況に至ることが難しい、ということがあるのだけれども、そこに至るのが私の目標であることは確かだし、10年、20年経ったときにそうなれるような蓄積をする必要がある。 でも今の私でも、仕事をしている時に関しては、女であることを自覚したことはこのところ少ない。それはおそらくありがたいことで、このまま進んでいければいいと思う。 それでも時折、今でも、自分よりハンディキャップが少ない(特に、専業主婦の奥さんがいて、家庭のことをしなくていい)人々に羨ましさを超えた闘争心を抱くのだけれども、それを他者に向けてもどうしようもないし(絶対に負けないぞ、とは強く思うけれどもそれは克己心につなげる方向にしていきたい)、そんなことをしても自らの状況は変えられないので、その闘争心をうまく昇華せねば。