転進記(4、止)―選択肢が「ある」ということ、選択肢を「捨てる」ということ

“As sappy as it sounds, I hoped to change the world”
 Sheryl Sandberg "Lean In: Women, Work, and the Will to Lead"

成田に向かう機内において、最後のまとめを書いています。行ってきたのはアジアなのですが、大変楽しく有意義な旅行でした。私の肌には合っていて、ここと関わる仕事がしてみたいと思いました。娘も元気に旅行を楽しんでくれたようです。無理に海外志向の教育をするつもりはないですが、少なくとも親しみは持った状態で成長してくれればな、と思っているので、状況の許す範囲でまた子どもを連れて海外に行ってみたいと思います。

さて、過去3回において記載したのは、「私個人の」転進にまつわるエントリでした。取り扱い注意、ということを最後に書くのも何ですが、今回の転職は私の志向と性格(良く言えば情熱的で決断が早い、悪く言えば拙速)によるところが多い、というのはおそらく自分自身が一番分かっています。誰にでもはお勧めしませんし当てはまりません。とはいえ、自己の特長の分析や今後の職務の方向性、私に見える範囲での社会状況、家庭の状況、というものを考え合わせた上で真摯に考えて選択したということには自信を持っていますし、快く送り出してくださった前職の皆さんに恥じぬ仕事をして社会全体の利益に資す,というという点において、刻苦勉励する覚悟で一歩を踏み出しています。
その決断の中で得たもので、ある程度普遍的かもしれない、少なくとも身近な人、特に我が子には伝えてもいいかも、と思ったのは、「選択肢がある」ということの得がたさ、そして同時に、本当に得たいものを得るときの「選択肢を捨てる」ことの重要さでした。

私はいま31歳で、20代前半で結婚して、4歳の子どもがいます。その結果としておそらく、死ぬ気で時間の制限なく働く、という選択肢は、人より早く失いました。その代替として、家族を持ちつつ働き続けるための工夫と覚悟を得たと思います。
私は学生時代にそんなに熱心な学生ではなく、資格も取れませんでしたし成績も良くありませんでした。その結果として、「きれいな形」で法曹、法務としてのキャリアは始められず、結果として今回違う道を選びました。とはいえ、どの道を選ぼうとも何らかの形で学びも知識も役に立つ(まさにconnecting the dots)ということを、10年弱の社会人生活で理解し続けてきたと思っていますし、何より大切なことは、そのときそのときに選択の余地を残すために、日々学び、心も視野も広く持つことである、ということであると、さらにこの身に刻まれたと考えています。それでも、まだまだ法務の奥深さが出てくるのはここからだ、こんなに可能性があるものなのだ、よしんばそれが無資格であるとしても、有資格者・ロースクール卒業生の絶対数が増えていく中でほぼ同年代として過ごしているとしても、むしろそうであるが故にこんなメリットがあってこんな形で専門的に極められるのだ、というご叱正をいただける分にはありがたいことです。

私が今回、数エントリかけて書いたのは、法学を何らかの形で学ぶこと、広義のlegal mindを身につけることは比較的広範囲に適用可能なスキルであると信じて、私自身はそちらに起源を持ったまま別のことをやってみます、ということでした。迷いなく自分の道を決められた人はそのまま突き進まれることを心から応援しています。ただ、自分の学んだこと、学んでみたいと思ったことにしっくりフィットする働き方とは何かを考えること、個人的な制約や制限(家庭的、健康的、その他諸々あると思います)と働き方として望むものが合わないこと、という事象は、人生においてそれなりに生じることだと思いますが、そういう場合に私はこうやって悩んで、何とか一歩踏み出した、ということを書き置いた、それが今回でした。


私の座右の銘に "Nec spe, nec metu"(夢もなく、恐れもなく)というものがあります。考えに考え抜いた、そのことには自信があります。その覚悟もて、夢もなく、恐れもなく、ただ自然に、歩き出していきたいと思います。