仕事や経験により「問いを立てる」のが苦手になるのはなぜか

久々にエントリを書いてみたらdtkさんkataxさんに言及いただいていたのでちょっといい気になって引き続きちょっと書いてみます。

 

私はコンサルとして超成功してるかというとまあそうでもなくて、しかし子育てしつつ30過ぎてこの職種に就いた割にはまあまあだと思います*1

仕事ぶり、アウトプットはそれなりに評価されていると思います。

ではそれはなぜかなと自己評価すると、「問い」を立て、仮説を見つけてきて検証、という飽くなき行為を続けることが嫌ではないというところがあると思っています。

そして、この行為が実は法務のときにはあまりなかった頭の使い方で、これがあるがゆえに転職して良かったと思っているところがあります。

法律はいい意味で積み重ねが太古から在る分野であり、正直、技術の変化があろうともむちゃくちゃ新しいことが見つかるという印象はあまりありません。その大きな体系の中で、しかし時代の変化に即した課題解決をしていくというのが妙味であろうと思います。

しかし今の仕事は法律分野は昔取った杵柄というか過去知識の「活用」であって本質ではなく、それ以外の分野においても持つ限りの知識を動員し、感覚を研ぎ澄ませつつ、拙くとも新しいことを見つける考え方をします。言い換えれば、自ら「問い」を立てることが求められます。

おそらくですが、法務からコンサルや別職種に行ってしんどいのは、法務ほど緻密に考えなくとも動かなければならないことなのかもしれません。そして、何もないところから「ありたい」を考え抜いて問いを立てる営為が恐ろしい数続くからかもしれません。その点、私は現職において良かったのは、自分の仮説を置いて考えるのが好きだった上で、さらに「私が考えても分からないことを分かる人は世の中にあまりいないだろう」という謎の自信を持てたからだと思います*2

 

しかしこんなわたくしでも、研究のリサーチクエスチョンを立てるのには苦戦しております。本当に苦しい。何で仕事だけしていれば何とかなっているのに研究までしているのか、と1%くらいは頭をよぎりますが、自分ができないことがあるのがある種の快感なので、多分続けられると思います。

いまいる分野だと下記を時折読み返しております。

 

 

創造的論文の書き方

創造的論文の書き方

 

 

 

リサーチ・デザイン―経営知識創造の基本技術

リサーチ・デザイン―経営知識創造の基本技術

 

 

*1:職業的にも育休的にも数年のブランクを経て、マネージャーが視野に入ったあたりのシニアです

*2:理由はいくつか想定できますがまあいいや