ひとは一人の人間の中に「両利き(Ambidexterity)」を持てるのか―「世界標準の経営理論」からの断想

いぇーい!どんくんでーす!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%81%A9%E3%82%93

 

閑話休題。忙しいのでなんかテンション上がってました。

 

世界標準の経営理論

世界標準の経営理論

 

 を買いました。あまり強く主張していませんが私は主に経営学を専攻して博士後期課程在籍しておりますのでどちらかと言わなくとも専門です。

 

大変わかりやすく読みやすく書いてある書籍とはいえ、とっても分厚いので、隙間時間にちょっとずつ読んでいるのですが、ふと気づいたことがあったのでメモします。

「探索」を支える人材と「活用」を支える人材は違う?

ちょうど知の「探索」と「活用」を取り上げた12章を読んでいて、最近の何かと既視感がありました。

ちなみに「探索」と「活用」については

 

両利きの経営

両利きの経営

 

 を読むか、本まで買えない方は

business.nikkei.com

を読むかしてくださいませ。

それを前提としたときに、

「企業であっても両利きであることは難しい。いわんや個々人をもってをや」

ということにふと気づいたのでした。

 

みなさんが自覚的かどうか全然空気読まずに書くと、最近久々に法務あたりの話を見ていて、

  • Techや「攻めの法務」で尖る!(積極型)

方々と、

  • とはいえ法務の本旨とはガーディアンにあって、而して多少攻めるのであろう(慎重型)

とあるんだなと改めて思ったのでした。

ちょっと引いた身からするとどっちも大事だのう、と思うわけですが何となく両立するのやらしないのやら感があり、ちょっともやもやしていたのがここ数週間でした。ちなみに個人的には「攻めたいけど、社会の大勢を動かさないとあかんから尖りすぎても敵意ばかりだよな…(いろんな案件や関係者を思い出しながら)」と考えているのでどちらにも与せないところはあります。

当方含め、可能ならば「両利き」でありたいと思うのですが、求められる考え方や取り組み方も異なることを鑑みると、個々人それぞれがAmbidexterityに優れることはあまり期待しないほうがいいのかもしれません。

なのだとしたら、社会的分業としていずれも存在する必要がありますし、互いに尊重して役割分担をする必要があるのではなかろうかと思います。

一方、書籍にも記載がありますが、一般的に長期的には「知の深化」に傾いていきがちなので、意図して「知の探索」に持っていく仕組みを企業は持つのが望ましいです(新規事業についてCVCを立ち上げるなどはそのような流れの一つでしょうが)。

私は職務としては法務をやっていた*1ので法務として考えると、「知の深化」を支える法務と「知の探索」を支える法務は違いましょうな、と感じられます。そして、いずれが正しいとか間違っているとか、そういうことはなかろうと考えています。

しかし、われわれはやはり、いま自分が何を分析し、リスク判断をし、支援をすべきなのかを一律に考えることはできませんし、その背景としてこのような考え方を知っておくのはやはり価値があるなと思いました。

 

 

結論としては、みんな、経営学もやりましょう(⋈◍>◡<◍)。✧♡

我田引水にて終了。ではまた。

*1:今は違いますが