「価値」と「主観」と「その時代」とーMax Weber没後100年と2冊の新書

COVID-19のPandemicに全世界が左右される本年、20世紀初頭のスペイン風邪の流行の際に命を落としたMax Weberが奇しくも没後100年を迎えます。

ご案内の通り、今月Weber*1に関する内容の濃い新書が2冊出版されるという事象が生じ、常にない盛り上がりを呈しています。

 

 

新書でここまでの読書体験ができるのかという喜びもあり、先週末、外出自粛&在宅勤務&自宅保育の気晴らしに2冊一気に読みまして、門外漢なりの読書メモを書いてみようかと思います。第1子(現10歳児)の出産のときに「職業としての政治」を持ち込んで病室で読んでた*2(その時までまともに読んでいなかったのは恥じるべき)ので、どことなくの親近感を勝手に抱いている面もあります。

当方、政治学にせよ思想史にせよ全く専門ではないのである種新鮮に読んだという前提で、いくつかの事柄について書いてみたいと思います。(以下便宜的に「野口本」「今野本」と記載することがあります)

 

「法学者」Weber

野口P.29に、「社会学ウェーバーというイメージが強くなっているなかでは、彼の社会理論の『法学的起源』について、もう少し真剣に検討し直しても良いかもしれない」とあり、実際私もWeberの法学者としての姿は認識になかった*3のですが、博士論文は中世における商事会社の歴史についてであり、法制史に源を持つというのは興味深かったです。

現状私が取り組んでいる「闘争」の一つが、法学、特に実定法に強い関心を有せなかったがゆえのキャリアのジャングルジムをいかに登るかにあることから、「法学の勉強をしばしば『味気なく退屈』」と書いたWeberが歩んだ途には共感というのもおこがましいですが勇気づけられる部分がありました。

 

 

学問と主観と価値判断

「価値」、そして「価値自由」はWeberにおいてとても重要なタームであり、野口本・今野本双方に無論記載のあるところです。

現在、私が仕事もしつつ大学院生として研究に取り組もうとするにあたって、「自分が抱える課題や業務上の関心事、言い換えれば自分の価値判断をどこまで研究動機に反映させるか」に呻吟しているところがあります。

訓練が足りない、と言ってしまえばそれまでですが、現在抱えている問題、例えば目の前の子育てと仕事の両立の難しさを純粋に研究デザインとして起こしていくには、かなり切り分けの力が必要だと思っています(という理由でやっていないですし、その理由で研究対象にしていないことがいくつもあります)。一方で探求したいモチベーション、どうしても突き詰めたい事象において、自己の主観による思い込みが入っていないと言い切ることができません。

今野P.111-112で、「学問には価値判断ができないとはいえ、思惟を方向付けるものとして価値は重要性を持ち続ける、自分は信念を持たないことを推奨しているわけではない」とWeberが述べたとし、「学問から価値判断を排除するといいつつ、学問の出発点に個人の価値判断の存在を当然視するという、何とも複雑なヴェーバー価値論が出来上がった」と記されるのは、いままさに我が身のうちにある複雑性の一つです。認識していなかったわけではないですが、ここまで明確に文章にしてあると自分で向き合うしかないという覚悟が決まるので、これもまた背中を押される感があります。

 

「その時代」に生きることと普遍性

特に今野本を読んでいて受け取れたのは、別に人格者というわけではなく、それこそ「闘争」的に自己の意志を貫き通す人間としてのWeberの姿でした。野口本にもシュンペーターと闘争(論争)をするWeberの姿が描かれていましたが、こと学問に至っても「闘争」の姿勢が垣間見え、場合によってはポーランドに対する姿勢など、現代から捉えると不正義にも見える過激さがあります。

とはいえ、20世紀初頭にドイツにおいて「ナショナリスト」として生き、研究し、残された著作に対し、現代の感覚のみで非難や批判を向けるのは正当な姿勢ではないでしょう。読むものの書かれた背景を踏まえた上で、テクストはテクストとして読み、歴史は歴史として把握していく必要があると考えます。野口本の最終章は「マックス・ウェーバーの日本」であり、これまでウェーバーが誰にどのように読まれてきたかを記述した上で、「『普遍的なもの』を追求する未完の試み」として捉えています。

以上の視座から、今回一気に読んだ2冊が双方ともにWeberの生涯を描いているにもかかわらず全くもって同じではなく、強く個性が伺えるのもまた、価値判断を排除しつつ、出発点に個人の価値判断を置くWeberについての評伝らしいとも受け取れました。

 

 

いずれも本当に面白い本であり、読んでいたら某身内から強い学圧を受けたので、今後も少しずつさらに読書を深めていきたいと思います。

 

 

 



 

*1:カタカナ表記に定見がないため、あえてこちらで記述します

*2:http://blog.coquelicotlog.jp/entry/1067514917

*3:もしかしたら学部生時代には伝えられていたのかも…忘れてしまっていたのなら恐縮です…