はてな記法
実は断続的にブログを書き続けてきて*1、はてなで書いてた期間もそこそこあるのではてな記法を多少思い出してきたということで、この記事からははてな記法で書いています(あまり重要性のない情報)。
異なる「意欲」について
調べるのが好きであることの弊害
昔からとにかく調べ続けるのが好きで、それを利用した仕事をしていたこともあるのですが、こと論文を書くとなると、先行研究を掘り続けていても何も自分の言葉は生まれないので、どこかでエイヤッと書き出す必要があります。
その意味で締め切り効果とは大きいもので、いくら拙くとも書き始めないと字数が増えないので書くしかないというところに効きます。
一方、調べて蓄積してある未だ明確な形になっていない情報が、自分の実際に書けるレベルの低さを脳内で指摘してくるため書きたくなくなるという面もあり、書くというのはとても苦しい行為です。あとは、自分が仕事でしていることと一定距離を取った内容を書かないと職業上良くないところがあり、書いても、これは削った方がいいと思ってばっさりいくことが多いです。
当方、仕事で書くのは一種割り切ってできるところがあって、求められる納期と質に合わせて何とかするしかないと思えるのですが*2、論文についてはやはりまだ感覚がつかめていない感があります。
自己(に近いところ)完結をやめる
また、
私は結局、分野を変えてかなり違うことをやるようになってからも、自分の思索について夫に話すだけでいったん充足して外に出さない部分が多くあるけど、せっかく議論相手が身近にいるんだからその知見も踏まえた上でより発信できるようにしていかんとな、と今日改めて思いを致したのであった
— Chihiro (@coquelicotlog) 2023年3月28日
とTweetしたとおり、調べて読んでまだ生煮えになっているものであってもコンテクストを汲んで話をできる環境にあるため、つい自分を甘やかして、調べる意欲≠書く意欲、伝える意欲になってしまいがちなのですが*3、多少自分の満足いくものでないとしても書き、伝えない限りただ雲散霧消するのみです。
その点で、とにかく呼吸をするように書く自分と、それを校正・校閲する自分とを分けた上でやっていく習慣をつけるしかないのでしょう。
Twitterにメモをするのもそんなに悪くないと思いますが、一定の長さで書かないと出てこないエッセンスがあるというもどかしさがあり、ふっと思い立ってここでの記述を再開しました。複数形態の意欲の維持は、ずっと向き合っていく私自身の課題です。