朝ドラ「虎に翼」が先週末で最終回を迎えました。激賞する人もいれば最初から合わない人もいる、そして、後半になって失速したと感じる人もいる、とはいえ一定の評価と議論をもたらした作品だったと思います。
かく言う私は、最初の週で「これダメかも? 合わないかも?」と思いつつも、穂積重遠……じゃなかった、穂高先生があんなにメインキャラで、石田和外……じゃなかった桂場さんも興味深く、何よりここまで戦前の法学教育をエンタメとして描く作品なんて未来永劫なかろう、ということで何とか見ていました。
が、
この数週間葛藤してたのですが、先週放送分ののまとめ見で失望が決定的になったので、私は今後の『虎に翼』視聴を離脱します。おつかれさまでした。 https://t.co/2u0Q67R8XJ
— Chihiro (@coquelicotlog) 2024年8月12日
という域に至って一旦離脱し、その後も見続けていた某配偶者と何度か話した上で最後何とか復帰して見終わりました。
後半に関してはフィクションにしたとはいえ許容が難しいところもあり、それでも最終回まで見ていく間に浮かび上がる私の罵詈雑言を深夜に受け止め続けた某配偶者には感謝と謝罪をいたします。それでも私の見解をさらにさらに尖らせるために色々議論を投げ込んできてた彼は多分変な人です(知ってる)。
私は、戦前のこの時代に法曹を目指し、結果裁判官になり、司法行政にも関わり、家庭裁判所の母となったようなひととは異なります。そこまでのキャリアはありません。でも、そんな私であっても、氷河期の終わりに女性の東大生だったというだけの私であっても、ことここに至るまで働き続け、子どもを育て、一定自分の貢献したい領域を定めていくのには覚悟がいりました。また、保たねばならない能力がありました。
それもあって、「虎に翼」は外観の困難を重視しすぎて、個々人のその覚悟と絶対的な能力を保つための努力を消し去ってしまったが故に、「なぜか優秀扱いされる寅ちゃん」の背骨がなくなってしまっていた点ひとつで私の中から消し飛びました。共感できるものでも、エンターテイメントとしても全く響かなくなってしまった。
やっぱり、エピソードとして取り上げなくてもいいのですが、モデルとなった三淵嘉子さんの経歴の「1944年、明治女子専門学校助教授となる」を抜いちゃった時点でとても重要なコアを掴み損ねたんだと思っています。
私が産休育休を使って修論を書き、 blog.coquelicotlog.jp 夫のフランス留学帯同時にとにかく博士課程にいられるようにタイミングを合わせて進学しておく、そのような試みと一緒で、とにかく本来の職でなくてもいい、一見ブランクでもいいから、一定の知的レベルの研鑽を続けていないとハイキャリアは築けないと言っていい。職を得られるかどうかというより、その地位にふさわしい能力と知識の蓄積ができているか、という点で、とにかく、続けないと届かない世界があるのです。 多分そこからこのドラマは寅子の人生を描く歯車が狂っていて、そのハイキャリア・その時代における最高級の知的女性への解像度の低さが後半のクオリティにつながっています。
外観のキャリアの話については、それこそ「女性は裁判官になれない」やら、その他の桎梏の影響があるので、このドラマで描かれたところが完全ダメとまでは言いません。でも、研鑽が必要で、かつ質に関しては性差なく上げないとできない部分の話を疎かにしすぎたと思います。繰り返しますが、外観的な地位について、処遇について、性や属性で不利益な人への向き合い方については好きに描けばいいと思うけれど、仕事人としての能力のクオリティを保つところは揺るがせにできず、そこを指し示すことはほんの少しの表現でできたはずなのです。
だから私は心底怒ったし、許せないと感じています。フィクションで、予定調和で、多少余白があってもいいのだけれど、余白にして真空にしては現実が変わらないところをなおざりに描いたことに。
寅子は、行李の中に法律書を入れてはいけなかったのです。
戦争に振り回され、大切な人を失ったり生活に追われたりして思うように生きられず心底打ちひしがれようとも、とにかく学問や研鑽を怠らなかった女性が戦中戦後に確かにいて、おそらく三淵さんもそういう人であったでしょう。
あの瞬間に、もし一日に一行でも、それこそ直明くんが食い入るように本を読んでいたように、一瞬折れる時があったとしても歯を食いしばって能力を落とさなかったからこそ、戦後の活躍がある。学び、世に尽くし、研鑽し続ける者の自負と苦しみと自己抑制。これもこれで、一つの「地獄」ですし、今でもこの類の地獄は確かにあるのです。
ドラマの具体的に受け入れがたかったことを全部言挙げするのは野暮(だってフィクションだし)ですしする気はありませんが、これまで見過ごされてきた人たちの苦しみを描くためなら、これまでマジョリティや強者や、「名誉男性」だった人の取り扱いは粗くていいという仕草だったのが全般的に辛く、その割にそのあたりへの視線に不躾なものがありました(配慮は要りません、自覚して傷つけてくるのも構いません、理解していないのに理解者のように振る舞うのをやめて欲しいだけです)。だから分断は深まるし、理解し合える日なんてこないのかもと思いました。 虎に翼の物語が捨象したものは、私が人生でとても大事にしているものでした。
とらつば、自分が見るのやめたからと言って細かに腐す気もないけど、比較的自分に近い題材だったこともあり久々にある程度の塊でフィクションを見てみた結果がこれなので、多分私はこれからの人生でドラマや映画、多分小説も、語学の勉強などプラクティカルな目的がない限り目にしないだろうと確信した
— Chihiro (@coquelicotlog) 2024年8月24日
とはいえ今回、圧倒的なまでの無力感を覚えました。私は当面、ドラマも映画もほぼ見ることはないと思います。