転進記(1)—「企業法務」について考えたこと

本日を最終出社日として現職を退職し、今月半ば、再度転職することになりました。
在職は2年ちょっと。
こんなに短くなるとはあまり思っていませんでしたが、ある決意を持って、このタイミングで転進することに踏み切りました。

 

私はこれまで数年、知財関連業務および企業法務に従事していたわけですが、今回の転職においては、かなり違う業界(コンサルティング業界)に行くことにしました。
4歳児の育児「も」しております(この書きぶりは後ほど補足します)ので、ここで再度チャレンジすることに驚きを持った周囲の人も多かったと思うのですが、身近な家族の理解と協力と後押しに支えられ、今回、再び一からの修業を行うことになりました。

 

と、いうことで、私が今回の転職に至るまでの思考を、書ける範囲でこちらに記載しておきたいと思います。
普遍性や教訓めいたものはあまり含まれていません。
敢えて言うなら、2度目の転職活動は、自分はこういう人間なんだな、ということを見つめ直して構築し直せる体験でした。いま私は此処にいて、この位置からまた歩んでいくんだと思います。

 

※ちなみに当方、卒業旅行として明日から2泊3日で4歳児と海外に参りますため、以下は予約投稿になっております。

 

今回の転職の趣旨について

 

前回は、前の会社の組織再編に巻き込まれて、ちょうど面白くなってきた法務関連業務ができなくなったために、じゃあ法務をやれるところに、と思って移りました。
では今回はなぜ、というと、実際に取り組んでみて、このままでは自分の満足する成果を人生において出せない、自分の能力を伸ばす方向はこちらではない、という結論に至ったから、というのが端的な理由になります。

 

この小文を記すに当たり予め私のバックグラウンドを示すと、下記の通りになります。
 
  • 大学の学部は法学部だけれども、学生時代は全く法律を勉強しなかったこと、それは自分には不向きだと感じたから、ということ
  • 入学時は官僚になりたいかも、と思って大学2年生の時には霞ヶ関見学会などにも参加したが、どことなくなじめず、企業就職の道を選んだこと
  • 紆余曲折あって、やはり一部の法律は面白い、と感じるようになって、法務の片隅に籍を置くようになったこと
  • その間に出産し、いわゆるワーキングマザーであること
 
この前提で、いま、この時代に企業法務を20代後半で始めたことは、半分は間違っておらず、半分はやはり間違っていたと感じています。

 

間違っていなかったと感じるのは、いろいろな困難はあるにせよ、やはりいままでも書いてきたとおり法務というのは比較的ワークライフバランスをとる方向に持っていくことが可能である業務である、という認識からです。
無論いろいろな「法務」があって、社内サービス業として事業部からのニーズに迅速に応えていく等々、ある人には時間と場所に制限があり、他の人にはない、となったときに制限があることが不利になる業務は多々ありますが、法務パーソンとして考え、契約書を作成及び修正し、社内相談対応をし…という基本動作は、自己研鑽と業務の切り分けと社内ツール(在宅でもセキュアに業務を行うために必要なVPN接続であるとか)の駆使によって、ある程度は補えます。
手戻りなくスピーディーに業務を行うことができれば(特に、時間制限なく無駄の多い働き方で働いている人が周囲に多ければ)、一人前の人員としての業務量を出すことは可能で、処理した業務の量、アウトプットの質等で評価される環境のみが仕事をしやすくするための必須要件です。これがなかなか世の中には存在せず労働時間で判定されるのがいかんのだ、という点には忸怩たるところはありますが、その点では私は恵まれており(恵まれるために自ら環境を変えもしました)、普通に考えれば、このまま法務を続ければいいのでは、と考えられます。

 

ですので、間違っていたのは、私「が」、法務として人生を終えられると自己認識していたこと、だと思っています。そこが、半分の間違いです。

 

下記は既に1年以上前から、手元のメモとして私が書いていたことです。

法務とは、基本的には何かを産み出しているわけではなく、だからこそ自己の能力を突き詰めていくために必要なのは他者からの評価ではなく、自己の研鑽である。それによって貢献できると信じるが、一概にそれが企業内での評価に繋がらない、というのもまた現実。加えて、耳の痛いことを言うのが仕事である場合も十分多いわけだが、ブレーキをかけるとするならば、その根拠として自分の専門については自信を持って提示したいのである。

 

「法務」を名乗れるようになって、もうすぐ1年。この選択はまったくもって間違っていなかったと思うが、1年経って、会社の求めるものと自分の心の部分で求めるものにズレが出てきている気がする。おそらく、この道を生きるのであれば伸ばしていきたい部分がいくつかあって、そこについて、やはり法曹に近づく部分をあきらめきれていない、というところが大きい。そしてそれは、1度しかない人生であれば、できうる限り有効な手段をとって、挽回したい箇所である、というところを再認識している。
〇どういう姿勢で、誰とともに仕事をしたいか
企業法務は面白い。ただ、自分がこれを職務としてできるかも、と感じた瞬間というのは、大きなディールであっても、目の前の議事録であっても、満たすべき法的要件があり、堅実にこれを積み重ねることは大変重要で、きちんとした仕事をするためにも知識は本当に必要である、と痛感した時だった。
誰とともに。企業法務は、直接的には社内が顧客で、あるとすれば同業者との交流、業界団体として官公庁と関わる、ということになる。それが悪いとは思わないが、もっと広い世界に目を向けたいのではないか、と思う。自分が恵まれてきたことを責められるのが怖くて逃げていないか、という問いがあり、おそらくこれはyesと答えざるを得ない。それで、人生を終えるのは、やっぱりいやだ。
我が身を振り返ってみると、法務になって1年経って、いろいろ壁に当たってみて、よくある弁護士の経歴で、2年くらいで仕事を辞めて資格取ってる人の気持ちがちこっとだけ分かった気がしている。
それでも法務を継続するには、と思って、ヨコのつながりを広げようとしてみているけれども、やはり違うんだろうということは結構確信している。
そのへんは、やはり法務から法曹を選んだ人に、間接的にでいいから聞いてみたい。
「企業で法務をやること」と、「弁護士として企業法務案件を扱うこと」がかけ離れていることはご案内の通りで、個人的には後者の面白みを外から見ることができて初めて感じたものの、前者は私の一生の仕事にしたいわけではないらしい、と考えるようになったのでした。
「企業で法務をやること」に価値がないのではありません。私は辞めることを決めた今でも、企業に専任の法務がいて、その人が法律の知識を持ち、事業の知識も持ち、できれば戦略的思考も持っていて、自社の利益を最大化するリスクヘッジを試みていく営為には大変価値を感じています。
法務には、大変テクニカルな習熟も必要になります。契約書レビューなどはそれなりに普遍的なテクニックかつすぐには上達しないスキルがありますし、法律相談等を有効かつ無駄なく弁護士にお願いするには、問題の交通整理(かつ、ある程度仮説を立てて依頼し、明後日の方向に行かないようにするための工夫をする)の能力や、社内決裁のお作法の深い理解も、円滑に承認を通していくには必要です。
法務担当は、「契約書」という形で、取引の承認フローに関わる回数が比較的多いだけに、自分で発議せずともいろいろな取引に関わることになりますし、それを通すための尽力はとても重要な業務であると考えています。

 

ただ、大切であることと、自分に向いていることと、自分がやりたいと思えるかどうかは、別です。

 

私はあまり大きい規模の会社にはおりませんでした。OJTでの教育もすぐ終わってしまい、かつ、自分より圧倒的に知識のある先輩、というのは特に法律知識に関してはおりませんでしたので、自他共に幅広い自助努力が求められる状況でした。
その中で奮励するうちに、無資格でロースクールにすら行っていない自分の知識の不足や習熟の足りなさが許しがたく感じられるようになってきたのでした。

 

回りくどく書いていますが、この2年、学部時代に普通に勉強して法曹になれていれば、と何度思ったか、数えるのも厭になるほどでした。

 

次回は、ではなぜ予備試験なりロースクールなりに尽力しなかったのか、ということを書きます。