ルール策定における理念の力 —競争戦略としてのグローバルルール—



表題の本を読み、大変感銘を受けたので幅広に感想を書きたい! 議論したい! という欲求はありつつも、如何せん仕事に追われているため、ここは一点に絞って書き残したいという思いでの記載。


まずは引用より。


ヨーロッパが世界で最も厳格な個人情報保護の規制を敷いていることはよく知られている。特に厳しい国が、イタリア、スペインに加えてドイツである。(中略)何事につけ、厳格な感のあるドイツはともかく、大らかなイメージの南欧2国が最も厳格な規制を実施していることは多少意外である。疑問に答えて、ある弁護士はこう説明した。
ナチスへの協力の記憶です。両国はナチスユダヤ系国民の情報を渡したと言われています。その結果何が起こったかは、ご存じのとおりです」


転職前に定期購読をしたためまだ送っていただけているBusiness Law Journalの最新号を読んで、パーソナルデータ関連の動向を久々に追ったのとほぼ同時期だったため、ここに私は大変引っかかった。

個人情報保護=パーソナルデータではないのは自明であるし、日本には日本なりの背景事情があり、事業があり、民意があって、そのバランスの上で何らか落としどころを見つけて、今後の道を見つけていくしかなかろうと思っている。

ただ、ただ単純に「欧州型」「米国型」というけれども、では我が国は、私たちはどこに進みたいと思っていて、何が正義だと思っているのだろうか。


私たちは、何を信じているのだろうか。


信念なくして透徹しきれる意思などなく、実は、敢えて「スタンスを取る」ことでしか、意見の違う人と分かり合えることはないのだと思う。
自分がどこに立っていて、何を信じているか、考え続けない限り。そしてそれを表現し続けない限り。
此処には残酷なまでに我々の人格的/精神的品位が顕れてくるわけで、少しでも陳腐で考えが足りない部分があることは、すなわち弱みにつながる。


真剣での戦いにも似た緊張感だけれども、そこを突き詰めていくところに、ルールを作る上でも、ビジネスを作る上でも、おそらくはルールを解釈する上でも、本質的な価値が乗ってくるのではないかと、今回改めて感じた。


正義と、そして理念の力。
これは今後も深く考えていきたいキーワードである。