先日仕事に使おうと思って久しぶりに
に目を通し、そういや自分もこういうことをしたくて
など書いていたなぁ、と思いだしていたところでした。
結果としては直接ルール形成に携わる仕事はできていないのですが(関西転居もあり…)、冒頭、「仕事で使おうと思って」と書けるくらいには触れることはできており、結果として今は、
「ルールメイキングをできるスキルセットを有する人間を、いかにより多く世の中に送り出すことができるか」
に関心を有しているのかもしれないです。
さて、「ルールメイキング」は、私が面白みを感じていた2013~2014年当時よりさらに人口に膾炙し、必要性が理解されるともに多義的になっているようにも思われます。
人それぞれに捉え方はあると思いますが、「ルールメイキング」は必ずしも過去のルールを破壊することを意味しませんし*1、一から新しいことを作ることだけを意味するわけでもなかろう、と思います。
ただ一方で、表題にも使ったGAFA(「 Google」「Apple」「 Facebook」「Amazon」)の台頭とその後続者たちも巻き込んでのハレーションは、お金のありどころや稼ぎ方だけでなく、価値観や社会構造にも影響を与えているようにも思われます。
そんな中で前回宣言通り、
をざざっと読み終えました。
多分ギャロウェイ教授はGAFAを好きではないんだろうな*2、というとても頭の悪い感想は置くとして、さすが、ぼんやりと感じていた問題意識や状況認識を一言で刈り取りきる表現が多々見られる本でした。
サプライチェーンでいちばん顧客に近い部分でありながら、テクノロジーとは縁の薄い部分が、ビジネス史上最も価値あるものになった
とか、
新しいアイデアを考えているとき、起業家は何を付け加えればいいか──顧客におもしろい体験をさせられるか──ばかり考える。何かを減らして面倒を取り除こうと考えることはまれだ。しかし過去 10 年間で大きな価値を生み出したのは、何かを減らす工夫だった
などはクリアすぎて興奮するくらい好きな表現です。
好きなことではなく得意なことでキャリアを築く
ということも、最近考えていることとリンクする部分がありました。
その中で敢えて一点に絞ると、4騎士(GAFA)に共通する8要素を挙げた中で、②ビジョンへの投資④好感度が含まれていることが、ルール形成において理念の持つ力を重視し、かつ可視化されたものよりむしろ「何となくいい気がする」あたりの空気感が社会の流れを決めていく、と考えている私の見解にそぐうものでした。これが日本に限られたことでなく、GAFAの存在するアメリカでもそう、というのがさらに学び深いところです。
本書では、
現在のデジタル時代における天才とは、次のような CEO のことだ。ビジョンを雄弁に語るストーリーテリングの才能を持ち、マーケットの予想を把握する。それと同時に、自分の周囲を、ビジョンに対して少しずつ進歩させられる人々で固めることができる
ということ、そしてそのCEOが語るビジョンが社会に受け入れられ、好かれるかどうかで、規制の効いてくる度合いを左右しうることが述べられます。
法律は結果を左右するが、企業を法廷に引っ張り出すか否かは主観が左右する。そしてその見解は往々にしてその企業が善良か否か、あるいはしおらしく見えるか否かに基づいている
からこそ、印象は重要であり、好かれることが(いいことかどうかは判断しませんが)必要となります。その際、旧来型の人からすらも好かれ、自分たちもそのようになりたい、と思わせることができれば強いでしょう。
一方、新旧対立構造にしてしまうことで損をしうる、というのは、UberやAirBnBに対する反応を見ていても言えることかと思います。新しいことに取り組む姿勢やチャレンジは尊いし必要です。しかしそれを拡大していこうと思う際に、「古いから」「時代は変わるんだ」と言って過去の経験からくる行動やロジックを否定するのは、それはそれで自分の理想だけで築かれた箱庭に閉じこもる行為に他なりません。
加えて、これも本書に出てきたもので、
「アルファベットのどの段階にいるか」
という分類があります。
企業のライフサイクルを起業時→成長中→成熟期→衰退期に分けたとき、必要なリーダーシップはアントレプレナー→ビジョナリー→オペレーター→プラグマティストに分けられる、というもので、自分がどこが得意か考えてみてはどうか、ということです。どんなCEOでも、このうち2つくらいの段階しか対処できない、と。
どうしても視線はアントレプレナーやビジョナリーに行きがちですが、安定企業は往々にしてオペレーターに率いられているものであり、とはいえそれは必要なことで、いくら移り変わりの激しい時代であってもオペレーターとしてビジネスを回していくことは必ず起こります。オペレーターやプラグマティストが不要になることはないと思います。
一方、ルールメイキングという観点から捉えてみても同様で、「ルールを回す(≒運用する)」側の人間が「ルールを作る」側に行くことは、同じものを取り扱っているようで違うため、かなり困難なのではないかと思います。法解釈学と立法論は、使う知識や頭が異なる、というのと類似の事象だと思うので。そして、少なくとも今現在において、立法や政策に関与しようと思うと職歴と学歴の土台が必要なので、誰にでもできるわけではないということは思います。
とはいえ色んな人が色んな関わり方ができるようになりました。斯くの如く裾野は広がるべきですが、国家という強制力を持って執行されうる内容については、決定の過程において十分に適正な手続きが踏まれるべきである、ということを付言します。これは結構、前述の「好かれる」に近い意味合いがあると私は考えています。
いずれにせよ、本自体は面白かったです。それぞれの立ち位置から、それぞれの見え方があるのではないでしょうか。
新たなビジネスを踏まえてルールを創るために何が必要なのかは今後も突き詰めていきたいため、色んな事例や知見を蓄積し、仕事上でもやってみて、社会に少しでも還元していきたいと考えています。そしてそれは、いわゆる「ルールメイキング」という名のついた業務以外のところでも(むしろ、ビジネス自体に関与の度合いがあるところだからこその関わり方を持って)できる、というのがこの5年ほどの感慨であり、今後も少しずつ積み重ねて参ります。
*1:既得権を持たない人は破壊したくなるのは理解しますが、本当に破壊することが社会全体の利益を増すのか、という点で私には肯んじがたい
*2:ニューヨークタイムズのエピソードは悔しさがあふれ出ていた