最近の進化の実感と、マインドマップについて

仕事で勉強している関連のことを聞かれた。

少し間違ったことを含んではしまうけれども、それでも知識を言葉として出せるようになってきた。

でもまだ「型に入る」時期が続くということを、学びが深まるほどに実感する。

奥が深い。でも楽しい。

さて、一時期勉強本にはまっていて、今でもたまに図書館で借りて読むが、この「勉強」というのが曲者だと最近実感する。

焦りと共に「勉強法」の取り入れに血道をあげてしまった時期もあった。でもそれが近道であるとは限らない。

その中でもいま、お付き合いの仕方を模索しているのがマインドマップである。

印象論ではあるが、言うほど劇的な変化はなく、でも役には立つような気がする。特に、社内文書を作るに当たってすごく良かった。部内勉強会のレジュメをきるのにMindomoを使ったら、構成も考えやすかったし項目も落ちなかった。

(でもたぶん「本来のマインドマップ」は書けていないんだろうな)

ただ、私自身が馴染みきれない理由を考えていて、ふと思い当たることがあった。

振り返ってみるに、勉強をするに当たって、私は基本的に手を使わないできた。

読んで覚えることも書いて覚えることも補助的手段であり、見て覚えるのが主である。

なのにマインドマップを書くことで記憶までしようと思うから違和感があったのだ。

書く時間があったらそのぶん読む方が向いているんだろうな。インプットに使うツールは、できれば外注でいきたい。ノートをまとめる能力が低いので。

それでもいいものが見つからなければ、それこそマインドマップを使ってもいいから自分向きの「文章」を作り、それを読む手法で。

ツールにとらわれずツールに使われない。当たり前のことだけれどもたまに思い出して噛み締めておこう。