こだわりと素直さと自分らしさと

またまた間が空いてしまいました。

便りがないのが良い便りとはよく言ったもので、仕事は転職先で順調にできており、むしろ色々やりたいことがやれすぎて選び取るのが難しい状態です。子ども2人もとても元気です。新10歳児は相変わらずで、誕生日プレゼントのゲームに夢中です。新2歳児は5月の私の転職後、1回しか熱を出しておらず、私の業務の垂直立ち上げに大変力になってくれました。まだ看護休暇も有給も残ってるので、心に余裕ができました。

 

唯一、研究が進んでいないといえばとても進んでいなくて、昨日のゼミでは先生に微笑みながらプレッシャーをかけられてきました。つおい。ただ、博士課程の先輩方や一緒に入学した同期との会話にも支えられて、帰りの電車の中で既に、とてもやる気に満ち溢れていました。ちょっと背伸びしすぎてすごくデータと戯れようとしすぎてしまったのですが、いちど腹を決めて事例研究をやろうと心に決めています。まずは書く。書く以外にやるべきことはない。

 

さてタイトルの件ですが、この、

ゼミでフィードバックを受けてやり方を変えて、もしくは徹底的に考え方自体を置き直して…などという思考のやりとりをしているうちに、考えを形にするにあたって大事なことは何かという意識をするようになりました。

奇しくも仕事においても、メンバーとして中堅より上くらいの年齢かつ経験、そして転職直後で立ち位置は定まりにくい、しかしマネージャークラスではないので営業責任はないというある種「間に挟まれた」立場で上と下を見ている状況です。その中で、成果を挙げられる人、一緒に働いていて楽しい人、価値を出せるなと思う人に共通のものがあると感じています。

それがタイトルの内容で、こだわりと素直さと自分らしさとという3点です。

1点目、こだわり、言い換えれば自分の譲れないところというものは、存在しないと、それなりにプロフェッショナリズムを持って納期がきつかったり考えを絞り出さなければならなかったりするような場面で、知的な体力が保たないというところがあります。一方やりたいことだけをやるというのはクライアントワークではないので、こだわりと透徹できるこだわりとそうでないものとがあるのは否めません。ただこれは経験のうちに身に付けて、実現できるこだわりを作れるようになっていくものなのかなとも思います。

 

2点目の素直さは、こだわりと逆行するようでいて、両立しなければならない素質です。人は万能ではないし、キャリアがまだ短い場合など、まだ身に付いていないものはたくさんあるので、自身の中に蓄積がなく、こだわったからといって自分の能力だけで解決できるわけがありません。

実は言われたことを素直に聞いて、できるならば自分の考えとの違い自体に好奇心を持って、人との違いを楽しめるような頭の使い方をできる方が、後から自分のやりたいことにつながっていくと感じています。

 

そして最後が自分らしさで、人の話を聞き、すぐに修正したからといっても、残るのはやはり自分がやりたいことであり、自分らしさを発揮した成果なのだと思います。ただこれは遮二無二こだわりをつき通したところに実は本来の自分があるというようなものではなくて、試行錯誤、様々な考えを入れて、修正していったその先にこそ、本当の自分のアウトプットが出てくると感じています。

 

壊すことを恐れないことが、年齢的にも攻めに転じるのが苦手になりそうなタイミングなので重要なことだと思っています。「得たものだから捨てられる」という信念もあるので、何でもやってみて、身につけて、しかし自分の路と異なってきたらサンクコストを恐れずに置いていく、そんな進み方をしたいと思いつつ、日々、仕事と育児と研究と勉強をやっています。

忙しかろうがたまには文章を書くと面白いですね。無理せず書ければと思います。

最近は

 

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

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 を買ったので読んでいます。あとは

 

雑草はなぜそこに生えているのか (ちくまプリマー新書)

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 とか

 

教え学ぶ技術 (ちくま新書)

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 とかを並行して読んでおります。あとは研究に関わるものを咀嚼したいのだが。そういうものこそ読書メモを書かんといかん。時間は少ないが。色々とやり方を工夫すべきところにきております。