長女の習いごと(3歳から11歳)から得たものを振り返る

気がつくと本年一度もエントリを書いておりませんでした。
コロナ禍で情勢が不安定ですのでぎりぎりまで確定しないと思いますが、実は来月から2年ほど海外に参る予定で、その準備と仕事と研究に追われておりました。


そんなこんなで、我が家の長女も小学校6年生となり、上記の事情により一足先に渡航先の中学入学のための試験を受けるなどを経て、今月をもって同級生より一足先に小学校生活を終えます。修学旅行に行けず卒業式にも出してやれないのは申し訳ないですが(本人からも苦情申し立てを受けました)、一方で新生活に向けた準備もしてくれているのが頼もしいです。


そんな長女、Twitterでご覧になっている方もいらっしゃるかもしれませんがなかなか面白いキャラクターでございまして、


字が読めるようになってからは本人の許諾を得た上で発言内容をTweetさせてもらって参りました。

また、かなりパワフルな人間であり、
blog.coquelicotlog.jp
でも記載したように「忙しい時期は土曜日に習いごと3つ掛け持ち」したり、スイミングの後に私の大学院のゼミについてきて待っていてくれたりしてきました。


そんな長女も、渡航に向けてこれまでの習いごとを整理する時期を迎え、ひとつずつ、長く続けてきた習いごとからお別れしていっています。
そして今日は、4歳からヤマハ音楽教室、6歳からピアノとして続けてきた音楽について、ピアノコンクールという区切りを迎えました。
地区のコンクールで中位〜下位の賞に入賞し続けるくらいには弾け、趣味として弾き続ける素地はできた状態でいったん渡航しますので、今後どのように音楽を続けていくのかは分かりません。ただ、この年になると自分で曲を決め(親の意見は聞いていましたが)、先生とLINEなども駆使して連絡を取り、毎日の練習時間を取ってやり続けるということを自然にやっていた、そのこと自体から、長い間続けて良かったと思っています。


ここから先は特に、やりたいことも分野も、長女の意思なしにはできませんし、親の都合で海外に連れ出しはしますが、ひとつひとつの関心や取り組み事項のコントロールはしないでしょう。
その前提で最近長女本人と話していて、3〜4歳の頃からそれなりに負荷をかけ、自己を律する必然性のある環境に居続けてきたために、

  • 呼吸をするように努力する
  • 自分のできることを見つめて、基本的には自己を肯定する

ことが自然にできている様子がうかがわれます。

幼い頃の習いごとが一生の仕事、才能の発掘になることも無論あるでしょうが、そちらに繋がらなかったとしても、「物事に長く取り組むこと」「取り組む上での困難や目標達成の苦しみに向き合うこと」を、制御された負荷の中でやりきることでついてきた自信(と一部の割り切り)は今後、彼女が自ら立って、自分の方向性を見出していく力になるのではないかと考えています。


年の離れた次女がいますので、私たちの育児はまだまだ長く続くわけですが、子どもが大きくなったらなったときの楽しみがあり、少なくとも現状、成長すればするほど二人とも個性が出てきて、両親とは違う人格であることが明確になってくるのが(ただ、すごく似ているところもあるのが尚更)面白いと思われています。



そんなこんなでこれから、我が家にも私にも様々な変化、新生活が見込まれます。仕事をお休みする予定ということもあり、余剰時間が取れる可能性もあるので、もう少しこちらのブログにも書いていこうかなと思っています。