承認欲求的なもの

連休。今回は体調の関連もあって無理せず遠出はしない予定。 ということで、最近の思考をつらつらと書きおく。 私ははてブを眺めるのは好きなんだけど、そこで密なコミュニケーションを取ることはない。 文章をちょこっと書いて、こうやって載せるのも楽しいけれど、ぎりぎりのところを攻めるような文章は外には出さない。 会社の人にたまに本音っぽい意見は言うけれど、愚痴の域を越える提言をする気はいまのところない。 若い頃(といっても3年くらい前だし、今だってたぶん若い範疇に入るんだが)は、自分の考えを知って欲しくて、それを多くの人に認めさせたくて、自分ができることをひけらかしたくてたまらない時期があったんだけど、今はそうでもない。 どうしてかなと考えていて、悟ったというより、認められたい対象を絞ったというのが自分の中でしっくりくる回答だった。 家庭に関する価値観に関しては、拡大家族プラスアルファ親族くらいとすりあわせができていれば生活できるから、自分の中の「保守的」な部分について考え込むのをやめることにしたら楽になった。 社会的に認められる立場にたどり着きたいという気持ちが今でもないわけではないし、実際、職場などで認められると嬉しくないわけではないけれど、それよりも、人に伝えることはないような話題だとしても、自分の中で追求していたことが解決した喜びのほうが大きい。 そして何より、不特定多数に偉そうなことを言うよりも、夫に論破されずに自己の考えを伝えきることの方が難しいし、それをなしえたときに得られるものが大きい。 そういう対象が身近にいることはすごく有り難いことだ。 社会的問題と自己の問題を切り分けて考えること。 どちらを解決したいかによって、思考のスキームを変えること。 これから、物理的に外出などが難しい時期が続きそうであり、これからの人生において今のまま仕事を続けたり好き勝手やったりすることはできないだろうけど、私には、学ぶ対象と本と頭さえあれば、そのときなりの新しい世界が開けるはずだと考えている。