忙しいと書かないのがブログというものなのかもしれませんが、季刊の域を超えておりました。
ただ、自己の記録としてもまとまった文章は書いた方がいいなあ、と思ったりもして、久々にキーボードをたたいております。
当方、2年前に関西に転居して新しい仕事を始め、同時に受験して、翌春から娘が小学校に入学するのと同時に大学院の博士前期課程に入学し、現在M2でございます。
【参照】
「転職(出産後3回目)から2年」について
転職後はこれまでとは全く畑違いの業務(企業法務→コンサルティングときて、今は人材育成系)に従事しており、そんな中でも何とか評価としては「及第点」で、前職、前々職より在職期間が長くなってきました。今回の転職は、関西でも働き続ける、ということに重点を置いており、仕事の中身は、「頭を使いたい」「考え続けたい」というところ以外はあまりこだわりを出しませんでした。期待値としてはフラットでした。
結果として、「取りあえずやってみれば、知らなかった面白さも見つけられる」という発見を得ました。100%自分のやりたいことで、という働き方はなかなかできないと思いますし、実際、そりゃあ合わないところも複数あります。ただそれ以上に発見もあったり、以前より現場に近くなったので視座が変わったりと、私にとって必要な環境適応だったのかも、と思います(多少恣意的に、発想を前向きに持っていこうとしていることは否定しませんが)。
とはいえ、次項の大学院での学び、自分のやりたい研究、というものをパラレルに走らせるようになったことで、むしろいい感じに肩の力が抜けて、「この仕事に全部を注がなければならない、そうでなければ辞めなければならない」というような青臭い緊張感は取れました。
「複業」「パラレルキャリア」が脚光を浴びたりもしている昨今、悲壮感なく軸足を複数置く、というのは、所謂本業にも役立つのではないか、と考え始めています。
「大学院入学から1年少し」について
大学院に関しては、M1でほとんど単位を取り終え、研究に関しても今年初旬、あるデータセットに出会うことができ、知識ゼロからの統計学・経験ほぼゼロからのプログラミングに立ち向かってはおりますが、ここを戦い抜けば見える世界があるのではないかという希望を持てまして、D進も含めて邁進する所存です。この世界でもっと知りたいことがあるし、過去からの知に少しだけでもいいから自分のオリジナリティを付け加えたい、と思います。その面白さが分かると共に、苦しくなってきました。始めた年齢が遅かったのが本当に残念です。法律をやっていた時期を無駄だとは全くもって思いません(いつか強みとして利用してやる、と思っています)が、もっと若いときに自分の志向に気づけていれば、という悔悟の念はどうしても消せません。
ただ、やり抜ければ生きている甲斐があると思えるので、諦めてしまうことはしない決心です。このあたりは、学んでいることの記録も込めて、どこかに書き出していきたいと思っています。
おまけ:「小学生の母」生活について
娘も小学2年になり、とてもしっかりしてきました。とにかくかわいがり健康に育てる、というところに主眼を置いていた幼児期は過ぎ去った感が強いです。集団の中でどうやって生きていくのか、心の成長の過程での不安定さにどの程度の距離で向き合うか、「やりたい」「高みを目指したい」という本人の意思にどこまで伴走できるか(両親ともにそれなりに忙しい仕事をして、私は学校にも行って、研究もして、家事もしているので、当方の子どもにつぎ込める時間にも限りはある)、というバランスと、その他の家庭的要因などなどを勘案して、日々タスク管理・目標設定と実行・達成できなかったときのリカバリ、というサイクルをぐるぐる回している感じです。
それでも、「それにもかかわらず!」と言い続ける
ブログを書かない期間もTwitterにはメモのように書いてましたし、色々と育児と仕事に関わる記事を読んでもおり、子どもがいることも・いないことも、父も母も、老若男女みんな、それぞれに苦しいことはあるし、苦しいときもあるし、せっかくのインターネットなんだから苦しいことは苦しい、と書ける方がいいんだろう、とも思います。一方、やっぱり成し遂げたいことがあったり、そんなに大きな野望でなくとも日々を前向きに、着実に進めている人もいて、自分が何らかのことに粘り腰が必要になったとき、そういう人の営みや考えを知って力づけられたと感じています。
娘出産後の病室に「職業としての政治」を持ち込んで、寝ない新生児に困り果てながら以下のフレーズを繰り返し読んでいたときを時折思い起こします。自分は「政治」をするわけではないのだけれど、自分が世において何か為したいと思うときに、「それにもかかわらず!」と言い続けられる、そういう自己を陶冶し続けたい。そんなことを、最近とみに感じるようになりました。
自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が—自分の立場からみて—どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。
今後また色々と挑戦し続けるんだろうけれど、できれば楽しんで、周りの人も楽しませて、やってみたいところです。