転進記(3)—「女性」として働き続けること

——1年休んだ人は、当然1年分遅れます。1年間スローダウンして通常の50%で働ければ、ほかの人よりも半年くらい遅れる。ただマッキンゼーでは、1年休んだだけなのに5年分遅れるとか、余計にチャンスが遠のくことはありませんでした。休んだ分を取り戻せば、あとは実力で評価される。
ただ、「育休で1年休んだのに、1年分遅れるのが許せない」というのは、逆権利意識でしょう。だって休んでいる間に頑張っていた人たちが報われなくなりますからね。——
(“底上げ”人事は女性に失礼
DeNA創業者の南場智子氏が、「女性活用」を斬る


女性であり母であり妻であるということは私の基盤であるけれども、そこを評価されたくないということについて

冒頭申し上げました通り、私には4歳になったばかりの娘がいます。双方の実家は遠いです。保育園にまつわるエトセトラで、3回転居しました。病児保育もベビーシッターさんも取り入れつつ、夫と二人で共働き育児をやっています。夫の関わりが比較的大きく、なおかつ仕事をする時間と場所の自由がそれなりにきく、というところがないと回らない生活をしています。
(ただ、帰りが遅い日はとことん遅いですし、家でも仕事していることがあるので、夫が仕事をペースダウンしているわけではおそらくないです。)

ただ、私は、働くことがとても好きです。それなりの成果も、ずっとあげてきていると考えます。私の主戦場は家庭ではなく、ビジネスにあるんだと考えています。

私は料理もするし裁縫も編み物もしますし、子どもが喜ぶような生活の工夫を家庭に取り混ぜていくことも楽しいと思います。しつけにも教育にもそれなりにこだわりがあって、情報収集しつつかなり意識して子育てしていると思います。(意識した上で敢えてなるべく放任している)
とはいえ、それを第一義的なやりがいや、目的にするのは、私の本質ではないと考えています。

自分にまだやりたいことがいっぱいある以上、自分の夢を子どもに託す、子どもの成長を自分の目的化する、ということだけはしたくない、と思っています。
やるならば自分で。成し遂げるならばそれは私自身の目標、目的として。
その生き様を見て、子どもがどうしたいか選んでくれればな、と思っています。
殊に、今のところ娘しかいないので、彼女が成長して自分の将来を考えるときに、自分が女性である、という一事のみで自らを規定せず、フラットに自己と見つめ合える社会であってほしいと願っています。

そう考えたときに、「女性の働きやすさ」のみを事由として自分の仕事を考えないようにしてみた結果、いま私が攻めていかなくて、誰が攻めていけるのか、という結論に至りました。
もしかしたら挫折しないとも限らない、でもここでチャレンジして得られるものは大きく、なおかつ、私は、やらずに諦めることを絶対に了としません。

他の人が12時間でやることを8時間でやって、なおかつそこにプラスアルファしていけたら、どんなに激務の業界でも少なくとも8割くらいの絶対的評価が得られて、それくらいのところまでなら、努力と工夫で持っていけるはず、と思います。
おそらく男女問わず(であるといいと思っていますが、現実がそうでないことは認識しています)多様な働き方や評価手法がある中で、私は女性だからといって自ら天井を設定したくもないし、逆に下駄を履かされたくもないのです。ただただ実際問題働くことができない時間があって、その制約の中でどれだけの効率化を行い、どれだけのところまでカバーできているか、という具体的な事実から評価していただければ、なおかつそのようなコミュニケーションをとれる成果を出していければ、そこにはかなり納得感ある働き方が残るのではないでしょうか。
これはよくある話な気がしますが、「バランス」と言うが故にどこかにブレーキをかける傾向が強く出る気がしています。持続可能に負荷をかけ続けられる態勢や外部環境とはどういうものか、ということは、今後さらに考えていきたいところです。
みんながみんなフルスロットルで頑張り続ける張り詰めた社会を望んでいるわけではないですが、どこかで自分自身に負荷をかけ続けないと成長が止まると実感しているので、頑張りたい人は自分の状況に合わせつつも頑張れるし、その努力が、出した成果分だけ適切に評価される、というところをひとつの到達点として、働き方の構築をしていきたいと思っています。


ということで3日に分けて、今回の転職から考えたことを投稿いたしました。
明日は帰国しますので、まとめ的なエントリをするように>9/7の自分