餃子と育児

今日、3歳の娘と、初めて餃子を作った。


もともとお手伝いが好きで、ホットケーキの生地を泡立て器でかき混ぜたりプチトマトのへた取りだったりは委任すれば全部やってくれるので、今日はたねをこねるところから一緒にやったところ、かなり頑張って最後まで手伝ってくれた。


とはいえ、手伝う娘もなかなか偉いと思うが、手伝わせる方の親も結構手間のかかる作業であって、
「自主性を尊重しつつ外さない」
という作業にするのはなかなか難しい。
こねたり包んだりする手つきを見つつ、手を出すかどうかを見計らい、なおかつ「自分で!」とかんしゃくを起こさない程度に手伝う、というマネジメントが必要になる。


この一連の流れが、このところ育児について感じていたことや対応を如実に表している、と思ったので、ちょっと書き残しておこうと思った。



3歳は意外といろんなことができ、性格のようなものがはっきりしてくるのでは、というのが実感で、娘の特徴は「集中力」であると思っている。
「集中力」は、料理の手伝いだけでなく、ワークブックをしたり保育園で工作したりするときに、大変集中してずっとやっている、というのがある。
ワークブックは、「ちょっと教育に走りすぎ…?」という自己突っ込みを入れつつ、迷路のワークを買ってやったところ、簡単なものだけでなく難しめのものも自力でできるようになり、1回につき1時間くらいやり続け、あっというまに2冊終了してしまったので迷路シリーズが終了してしまい、いまはひらがなと数字のワークに移行している。ひらがなも数字も徐々に理解してきた。なぜか、1と1で2、ということをすごくよく理解している。。


無論、3歳2カ月なので、気まぐれな動きもするし、はしゃぎすぎて道で走り出して叱られたりもするのだが、いったん大泣きして落ち着いた後、叱った理由をきちんと言葉で説明するようにしている(話し方はわたくしの激詰め的な話し方で、なぜ叱られたのか、なぜやってはいけないことなのか、娘が既にその件で叱られたことがある場合はその回数等を滔々と語るというスタイル。まあそういう親に育てられているので、このところ、親の真似なのか、理由らしきものを話しつつお人形とままごとをしている姿等が見受けられる。。)。
その説教をちゃんと聞いて、「分かった?」と言われるとうなずき、叱られるのが終了してノーサイドになると意外とすぐけろっとしている、というのが通例。言われたことは本人なりに理解して、実行する意思はある模様。




3歳は、親とも離れて作業ができるようになるし、育児としてはべったりから「目を離さない」ところに移行する時期なのか、ということを、このところかなり実感している。

そうなったときに、どういう環境で、どう育てたいか、というのを改めて考え直す状況にあるので(諸事情あって)、その考えと、目の前の娘を見つめた結果を鑑みて、またいろいろと決めなければならないことがある。
親として何をやらせたい、という具体的なことはネタとしてくらいしかなくて、うまく伸ばしていきたいきらっとした部分を、親だけでなく本人が見逃さないように生活したい、というのが大目標なんだけども、そのためにどの程度、親が見守らなければできないか、ということを考える。



3歳は難しい。でも、このところすごく面白い。




子どもが作った餃子は、本当に、おいしかった。